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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)9859号 判決

判  決

東京都台東区上根岸一一〇番地

原告

岩本平

同都杉並区高円寺五丁目八四番地紅雲荘内

揚集龍

右両名訴訟代理人弁護士

青柳盛雄

柴田睦夫

上田誠吉

佐藤義弥

同都千代田区霞ケ関一丁目

被告

右代影者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人検事

越智伝

同 法務事務官

小林準之助

同都千代田区丸之内

被告

東京都

右代影者知事

東龍太郎

右指定代理人都事務吏員

船橋俊通

三科亮次

永井孝二郎

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告らは「被告らは各自、原告岩本平に対し金二〇万円、原告揚集龍に対し金二〇万円とこれらに対する本訴状送達の翌日から(被告国はついては昭和三〇年一二月三〇日から、被告都については翌三一年一月六日から)年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被告らは主文同旨の判決を求めた。

第二、請求原因

一、原告岩本の逮捕勾留

(一)  東京都中央区銀座西八丁目七の五雑貨商建部友七は昭和三〇年三月五日未明自宅で何者かによつて殺害された。

(二)  捜査当局は右事件を強盗殺人事件として捜査を開始したが、昭和三〇年七月一一日その犯人を原告岩本であると考え、東京警視庁司法警察員巡査部長堀隆次は緊急逮捕により同原告を逮捕留置のうえ、翌一二日同庁警部補荻野留吉は東京簡易裁判所に対し逮捕状を請求し、同裁判所判事近藤寿雄は逮捕状を発付した。

(三)  原告は司法警察員の取調に対し右事件は身におぼえがないと具体的な弁解をしたのに取調官らはこれに耳をかさないで留置した。

(四)  同月一四日司法警察員から事件の送致を受けた東京地方検察庁検事築信夫は東京地方裁判所に対し岩本に対する勾留を請求し、翌一五日同裁判所裁判官青木正映は右請求を認容して岩本を勾留する決定をして勾留状を発付し、これによつて岩本は同月二三日まで代用監獄である築地警察署に留置された。

二、原告揚の逮捕勾留

(一)  東京都世田谷区玉川仲町中華青年会館一〇号館一階三号室に居住していた中央大学生黄遠鉅は昭和三〇年八月一七日夜右居室で何者かのために殺害され、また同夜一一時頃右部屋から出火して同室約一〇坪が燃焼した。

(二)  頃査当局は右事件を強盗殺人放火事件として捜査を開始したが、昭和三〇年八月末頃同事件の犯人は原告揚およびその妻大滝スズであると考え、東京警視庁司法警察員警部斉藤六四郎はその頃東京簡易裁判所に逮捕状を請求し、同裁判所判事岩田省三は逮捕状を発付した。そうして同年八月三〇日原告揚は警視庁巡査部長福田喜由によつて逮捕された。

(三)  原告揚は司法警察員らの取調に対し自己が犯人ではない旨の具体的弁解をしたが、取調官らはこれに耳をかさないで同人を留置した。

(四)  同年九月一日司法警察員から事件の送致を受けた東京地方検察庁検事長山頼正は、東京地方裁判所に対し揚の勾留を請求し、翌二日同裁判所判事補向井哲次郎は右請求を認容して揚を勾留する決定をして勾留状を発付し、これによつて揚は東京警視庁の代用監獄に留置された。

(五)  同月九日開かれた勾留理由開示法廷で原告揚は勾留裁判官向井哲次郎および前記長山検事らに、自分は犯人ではなく疑を受ける理由のないことを詳細かつ具体的に陳述して釈放を要求した。

(六)  しかるに長山検事は原告に対する疑をはらそうとせず、同月一〇日東京地方裁判所に勾留期間一〇日間の延長を請求し、同裁判所裁判官青木正映はこれを認めて勾留期間を更に一〇日間延長してしまつた。そのため原告揚は右延長期間の満了日である同月二〇日まで勾留された。

三、本件逮捕勾留の違法

(一)  刑事訴訟法の規定によると、司法警察員の逮捕状の請求、裁判官の逮捕状の発付、検察官の勾留請求、裁判官の勾留にあたつてはすべて被疑者が罪を犯したと疑うにたりる相当の理由が存在することが要求されており、またその相当の理由というのは客観的な資料によつて裏づけられていなければならないことは当然である。また勾留期間の延長に関しては、裁判官はやむを得ない事由があると認めるときにかぎつて検察官の請求によつて一〇日以内の制限内で延長できると定められているが、この延長請求およびその認容にあたつてはやはり被疑者が罪を犯したと疑うにたる相当な理由が継続して存在し、それが客観的な資料によつて肯認されていなければならない。

(二)  ところで原告らはいずれも前記各事件の犯人ではなく、逮捕および勾留を受けた当時において犯人と疑われるような理由はなく、またそのような資料もなかつたのである。したがつて原告らに対する前記各公務員らの逮捕状の請求、勾留請求、勾留は原告らを犯人と疑うにたる相当な理由がないのにこれかあると誤信した各係官の過失にもとづくものである。更に原告揚に対する勾留延長請求およびその延長も同様やむを得ない事由がないのに、これがあると誤信した担当検査官、裁判官の過失によるものである。

(三)  そうして原告岩本の緊急逮捕については被告都の公務員である前記警察官および検察官が協議したうえで逮捕し、また逮捕状の請求をしたものであり、また裁判官も逮捕状を発付したのであるから、原告岩本が逮捕されたのは結局右三名の共同不法行為によるものである。またその勾留については警察官および検察官が協議のうえ勾留請求をして、裁判官が右請求を認容した結果勾留されたのであるから結局右三者の共同不法行為によるものである。

原告揚についても同様であつて、その逮捕および勾留はそれぞれ右三者の共同不法行為によるものであり、同原告に対する勾留延長も検察官警察官の協議によつてなされ、裁判官がこれを認容した結果であるから同様三者の共同不法行為によるものである。

そうしてみると原告らの逮捕勾留(原告揚については更に勾留延長)は、被告東京都の地方公務員である前記各警察官および被告国の公務員である前記各検察官ならびに裁判官の公権力の行使に関する共同不法行為によるものであるから、被告東京都および国は国家賠償法第一条によりこれによつて生じた損害を賠償する義務がある。

四、損害額

原告らは前記逮捕勾留あるいは勾留延長によつて不当に留置され、その間捜査官の厳しい取調を受けた。またその間原告らの逮捕勾留の事実は事件の性質上新聞などで広く全国に報道され、多くの人から真犯人と誤信された。このように無実の嫌疑で留置取調を受け、世間的な信用を失つたことによる原告らの精神的苦痛は甚大であつて、その慰謝料とその他の経済的損害をあわせるとそれぞれ各金一〇〇万円を下らない。しかしながら本訴では右精神的損害のうち金二〇万円を請求するにとゞめる。

五、結論

よつて原告らはそれぞれ被告らに対し右金二〇万円とこれに対する前記不法行為の後で本訴状送達の翌日(被告国に対しては昭和三〇年一二月三〇日、都に対しては昭和三一年一月六日)から右各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、右に対する被告らの答弁

一、第一項のうち(一)、(二)の事実は認める。(三)のうち原告岩本が具体的な弁解をしたことおよび取調官らがその弁解に耳をかさなかつたことは否認するが、その他の事実は認める。(四)の事実は認める。

二、第二項のうち(一)、(二)の事実は認める。(三)のうち原告揚が具体的な弁解をしたことおよび取調官らがその弁解に耳をかさなかつたことは否認するがその他の事実は認める。(四)の事実は認める。(五)のうち同原告の陳述が詳細かつ具体的であつたことは争うがその他の事実は認める。(六)のうち長山検事が疑をはらそうとせずに勾留延長を請求したとの主張の趣旨は争うが、その他の事実は認める。

三、第三項のうち(一)の主張は認める。(二)のうち原告らが本件各事件の犯人ではなかつたことは認めるが、その他の主張は否認する。(三)のうち同警察官らが被告都に所属する地方公務員であり、同検察官および裁判官らが被告国の公務員であることは認めるがその他は否認する。

四、第四項のうち原告らが逮捕勾留されてその間捜査官の取調を受けたことまたこれが新聞などで報道されたことは認めるが、原告らの損害額は争う。その他の事実は否認する。

第四、被告国の主張

一、原告岩本関係

(一)  事件の発生

昭和三〇年三月五日午前三時一〇分頃中央区銀座西七の五荒物雑貨商建部友七方で同人が何者かによつて手おののようなもので殺害され、次女鈴子が強姦されたうえ、現金約一万五〇〇〇円と懐中とけい他四点が強奪されるという兇悪な強盗殺人、強盗強姦事件が発生した。

(二)  捜査の経過

(イ)、そこで警視庁は事件発生以来築地署に特別捜査本部を設けて捜査していたところ、同年五月三〇日頃前記犯行現場附近のバタヤ部落の一〇数名から通称「私立採偵」という者が以前から不審の点があり、事件発生当夜も同部落に姿を現わしたことを聞込んだ。そうして同年六月三〇日右「私立採偵」と行動をともにしていたことのある中村和利を取調べたところ、同人から「三月初め浅草の山谷に同宿していたとき、私立採偵から本件犯行の相談を受け、かつ同人がナタのようなものを白衣に包んでいたことを目撃した。また同人は本件発生の前日の三月四日の晩このナタのようなものを所持して銀座方面で仕事をしてくるといつて出かけたまま帰つて来なかつた。更に犯行後の三月一〇日頃前記バタヤ部落附近で同人にあつた際お前がやつたのではないかといつたところ、ぶるぶる足をふるわせた動作がいつもと違うので彼がやつたに違いないと思つた。」旨の供述をえた。

これらの資料を犯行現場の模様、被害者の娘鈴子および犯人目撃者の述べる人相などと比較して綜合的な検討を行つた結果、この「私立探偵」が本事件の犯人であることがほゞ断定されるに至つた。

(ロ)、そこでこの「私立探偵」を割出すため、これと面識のある平山幸雄に前科者の写真約一万五〇〇〇枚を示したところ私立探偵に非常によく似ているといつて原告岩本の写真を選び出した。

つぎに前記中村和利に対して、右原告の写真を他の二〇枚の写真に混入して示したところ、同人は「私立探偵」の写真として同原告の写真を選び出し、更に他の面識のある一一名の者に対し同様の方法で選別させたところ、一名が「似ているが違う。」と述べたゞけで、他の者はすべて原告岩本の写真を「私立探偵」であると供述した。のみならず原告の写真は犯人を目撃した者の供述した人相とも完全に一致していたので、容疑者「私立探偵」は原告岩本であると推定された。

(ハ)、そこで警察は岩本の居住先、元住所その他の身辺関係について内偵を進めたところ、同人が先妻との間に子供がありながら離婚して現在内縁の妻と同棲中であること、一定の職を持たずパチンコ等にふけつて素行不良であること、また同人は身軽で転居のおそれが強く、同年六月頃には同人の兄が本籍地村役場で籍の移動について照会したなどの事実があることが判明し一方右内偵が本籍地の家人に気ずかれるかも知れない旨の報告もあり、逃亡証拠いんめつの危険が予想されたので、同人を緊急逮捕する必要に迫られ、七月一一日午後九時三〇分同人の住居において外出先から帰宅したところを緊急逮捕したのである。

(ニ)、そうして原告岩本を逮捕勾留のうえ、築信夫検事は司法警察職員を指揮して鋭意捜査にあつたが、参考人多数の面通しの結果や犯行当時のアリバイの不明などから、依然容疑は濃厚であつたが、現場の足跡および犯人の血液型が合致しないため、一〇日間の勾留をもつて処分保留のまま釈放したのである。

(ホ)、その後原告岩本が犯人でなければ犯人はこの岩本に瓜二つの男との観点がら、岩本の写真をもととしたモンタージユ写真を作成してこれを五万枚印刷し各方面に手配したところ間もなく玉川署派出所前を通行中の一都民が「この写真の男を知つている。」と申し出て、これが端緒となつて被疑者塩塚正敏が割り出された。塩塚については直ちに全国指名手配がされた結果、昭和三一年七月一八日奄美大島名瀬市で逮捕され翌八月一〇日起訴された。

(三)  本件逮捕および勾留について過失はない。

(イ) 近藤裁判官は逮捕状請求書に添付された疎明資料(乙第一、四、五、七、九、一一ないし一三、一五、一六号証)を慎重に審査した結果、原告岩本に本件の罪を犯したと疑うにたる充分の理由があり、かつ逮捕を必要とするのにかかわらず急速を要しあらかじめ裁判官の逮捕状を求めることのできなかつた理由を認めたから逮捕状を発したのであつて同裁判官には何らの過失はない。

また築検事の勾留請求、青木裁判官の勾留もそれぞれ右のような客観的証拠にもとづいてなされた正当な措置であるから何の過失もない。

(ロ)、原告岩本は被告国に対し前記裁判官検察官の過失を主張するばかりでなく、司法警察員の緊急逮捕状請求については検察官もこれに協議しているからその両者に共同の過失があると主張するが、司法警察員の緊急逮捕、逮捕状の請求について過失のないことは前述のとおりであるが、原告岩本の右主張は主張自体理由がない。

すなわち原告岩本を緊急逮捕するにあたつては、事前に検察官が関与した事実はなく、たゞ司法警察員荻野留吉が逮捕状を請求するに際し、検察官に事情を説明してその逮捕状請求書に築検事の経由印が押捺されたことはある。しかしながら都道府県警察は検察庁とは独立した第一次的捜査権をもつていて、本件の捜査は事件送致前は警視庁が右権限にもとづいて独自に行つていたものであるから、その間の行為について国が責任を負ういわれはない。そして司法警察員が独立して捜査を進めるにあたつて、検察官に対して事件の内容を報告し、令状記載の犯罪事実について不備の点の指摘を求め、あるいは捜査方針について意見を求める事例は実務上少なくはないが、本件についてかりにこのような事実があるとしても、それは司法警察員が自己の捜査の遂行にあたつて検察官から捜査上の知識と技術を導入して自己の捜査を反省し、かつ将来検察官の公訴維持の便宜をはかるための内部的慣行にすぎないものであつて、このようなことが行われたからといつて、事件送致前に検察官に具体的指揮権が生じるわけではなく、捜査上の責任は司法警察員にかかつていることに変りはない。したがつてこの点に関する原告の右主張は失当である。

二、原告揚関係

(一)  事件の発生

昭和三〇年八月一七日午後七時頃、世田谷区玉川仲町二の九六中華青年会館第一〇棟階下三号室内で、同室居住の中国人中央大学商学部一年黄遠鉅が何者かによつて殴打絞殺され、現金約三五〇円と腕時計一個が強奪されたうえ、同夜一一時五〇分頃同室に放火された事件が発生した。

(二)  捜査の経過

(イ) 警視庁は事件発生以来玉川警察署に捜査本部を設けてその捜査を開始したが、犯行直後の現場検証と聞込み捜査の結果まずつぎの事実が明らかになつた。

1 被害者は後頭部を鋭器ようのもので強打された結果、頭蓄骨に亀裂を生じて脳出血を起しており、致命傷は食後一時間以内の絞頸による窒息死で、死亡推定時は八月一七日午後七時前後である。

2 被害者の皮製財布は洋服ダンスの下方に空のまま放棄されてあり現場の状況は火災と消火水のため甚しくかく乱されてはいるが、犯人が事件の発覚をおそれ被害者が失火によつて焼死したもののように偽装していることが認められる。

3 当時この棟内には階下三号室に被害者、二階六号室(三号室の真上)に原告揚とその内妻大滝スズが住んでいるだけであつた。

右のような状況から判断して、本件は物盗りを目的とした殺人事件であり、犯人は相当知能のたけたものでかつ財布放棄の場所や殺人の状況からして同館の内部事情に明るいものと推定されるに至つた。

(ロ) そこで警察は一方において被害品の発見につとめるべく盗難腕時計の品ぶれを約一万三〇〇〇枚印刷してこれを関係向に配布するとともに、同館居住者、関係者について内偵を進めたところ、原告揚および内妻大滝についてつぎの事実が判明し本件容疑が濃厚となつた。

1 同人らは出火と殆んど同時に目ぼしい持物をすぐ持出せるように整理をすましていた。

2 被害者死亡の事実が判明し他の寮生が沈痛な顔をしているとき、同人らに不審な挙動があつた。

3 同人らは相当生活困につているようであつた。

4 当夜の行動について夫妻は夫婦喧嘩をしたといい、スズは一〇時頃新潟の郷里に帰るため等々力駅に行つて駅員に列車の時刻を調べてもらつたといつているが、同駅の三駅員はその事実はないと否定しており、当夜のアリバイに疑がある。

5 出火当時別棟の寮生が「部屋に黄君がいる。」と騒いだのに同人らは「留守だ。」といいはつた。

6 出火と同時に同人らは被害者の部屋をたたいて「黄君」とどなつたといつているが、誰もこれを聞いた者はない。

7 同館内部の居住者や関係者にも十分な内偵が行われたが不審の者を発見することができなかつた。

(ハ) 右のような資料から司法警察員は揚夫妻が本件の犯人であると疑うにたる相当の理由があると認めたので、八月三〇日東京簡易裁判所に逮捕状を請求し、同裁判所裁判官岩田省三はこの請求をいれて同日これを発付した。

(ニ) そこで司法警察職員は同日午後九時四〇分警視庁で同人らを逮捕するとともに引き続いて捜査を継続し、翌九月一日事件を東京地方検察庁に送致した。

(ホ) 東京地方検察庁では長山検事を主任官として一件記録と揚夫妻を取調べたところ、勾留取調の必要を認めたので、同日東京地方裁判所に勾留を請求し、同裁判所裁判官向井哲次郎はこの請求をいれ、翌九月二日勾留状を発付した。

(ヘ) 九月九日原告揚らの弁護人から勾留理由開示の請求があり、弁護人および原告揚から本件勾留について意見が述べられたが、向井裁判官はなお勾留の必要を認めて勾留を取り消さなかつた。

(ト) 一方、検察官およびその指揮を受ける司法警察職員は原告揚らを勾留後鋭意捜査を継続したところつぎの事実が判明した。

1 夫妻は犯罪発生当日の朝現金四〇円、夕食の際は僅かに六円を所持するのみで金銭に窮していたが、事件後の八月二〇日には揚の転居先一一棟一号室の机上に現金約一九〇〇円がおかれてあつた。

2 等々力駅の駅員三名と刑事とを一緒にして内妻スズに対し「列車時刻を教えてくれた駅員は誰か」と尋ねたところ、スズは「教えてくれたのはこの人です。」といつて刑事の一人を指した。

3 本件発火に先立つて夫妻は二階六号の自室から衣類箱、トランクなど数点を持出して一〇棟玄関前庭まで運び出していた。

(チ) このような状況から原告揚に対する嫌疑は依然濃厚であり、更に関係者などについて取調の必要に迫られたので主任検察官は勾留の延長についてやむをえない理由があると認め、九月一〇日東京地方裁判所に勾留期間の延長を請求し、同裁判所裁判官青木正映は同日右請求を理由があると認めてこれを許可した。

(リ) そこで主任検察官は引き続き関係者多数を取調べたが、遂に公訴を維持するに足る証拠を得ることができなかつたので、処分保留のまま九月二〇日原告揚を釈放した。

(ヌ) その後本件容疑者として同会館第四棟四号室の中国人学生劉春海が逮捕され、一〇月二二日東京地方検察庁から起訴された。

(三)  以上述べたとおり原告揚の逮捕および勾留ならびに勾留期間の延長はすべて同人が罪を犯したと疑うに足る客観的な資料にもとづいてされたものであつて、司法警察職員、検察官裁判官らに何らの過失はないから、同原告の請求は失当である。

第四、被告東京都の主張

一、原告岩本関係

東京警視庁の捜査を担当する司法警察職員が原告岩本を逮捕するに至つた経過はつぎのとおりである。

(一)  捜査当局は右事件について昭和三〇年五月二三日頃通称、「私立探偵」という男が本件犯行に関係があると思われるつぎの事実を犯行現場附近の新幸橋バタヤ部落の居住者一〇数名から聞込んだ。すなわちその男は一見サラリーマン風の三〇才位で、昭和三〇年二月中旬頃から毎夜おそく右部落に姿をあらわし、いつも手さげかばんの中から汚いジヤンバーなどの衣類をとりだして変装したうえ、かばんをバタヤ部落に預けてどこかに出かけ、早朝部落にもどり、再びもとの服装に着かえて立ち去り、屑物収集人らに対しては、私立探偵であると自称し、事件前の三月四日午後一〇時半頃もいつものように姿をあらわし、午前一時頃まで部落のたき火にあたつていたが、事件後は姿をあらわさないというのであつた。

この私立探偵の人相、年令、特徴(肩幅の広いこと)などが、被害者建部鈴子や犯人が被害者方から出てくるのを目撃した加藤春信の供述による犯人のそれと一致するので、捜査当局は右「私立探偵」を有力な容疑者としてその氏名、住所などを捜査していたところ、「私立探偵」は元船員中村和利と比較的親しかつたことが分つた。そこでこの中村を取り調べた結果つぎのような事実が判明した。

1 中村は昭和三〇年三月一日から同月四日まで「私立探偵」と浅草山谷の大黒屋旅館に同宿したが、「私立探偵」は三月四日の夜一〇時頃外出したまま帰らない。

2 「私立探偵」は三月四日外出する直前長さ一尺五寸位の柄つきのナタを持つていた。

3 「私立探偵」は中村に銀座に二階建か三階建の手ごろの家がみつかつたから今晩その家に泥棒に入り、金をとつてくるが成功したら二人で下宿するから宿で待つていてくれといつた。

4 三月三日の夜浅草山谷から浅草橋駅まで一緒に散歩したとき「私立探偵」からゴム手袋とナタを都合してくれといわれたことがある。

5 「私立探偵」は「泥棒に入るのには屋根伝いが一番よい。それには目的の家の屋根に直接上つてはだめで、遠くの屋根に上り、そこから屋根伝いに目的の家の屋根に行き、しかも入口は勝手場の明りとりの窓をねらつて侵入するのが一番安全だ」と話していた。

6 「私立探偵」は三月四日には所持金はなかつた。

7 その後銀座で「私立探偵」とあつたとき、あなたが銀座の人殺しをやつたのではないかというと同人はがたがたふるえて、そわそわして、一寸そこまでといつて急ぎあしで有楽町方向に立ち去つた。

右の中村の供述と人相特徴などの類似を綜合検討した結果「私立探偵」が犯人であると認定された。

(二)  そこでこの私立探偵を割り出すため、これと面識のある屑物収集人らに前科者などの写真を鑑別させたところ、平山幸雄が写真一万二〇〇〇枚の中から原告岩本の写真を抜き出した。

また前記中村外一一名の者に原告岩本の写真を他の写真二〇枚の中に混入して示したところ、一二名中右中村ら一一名までが原告岩本の写真を「私立探偵」として指摘した。

(三)  そこで原告岩本の身辺について内偵したところつぎの事実が判明した。

1 岩本は窃盗で以前二回逮捕されたことがある。

2 昭和二七年頃商売に失敗してから定職がなく、パチンコにふけつて徒食し、妻子の生活をかえりみないで外泊がちであり一月に一回位しか帰宅しないような状態で、遂に長男を病死させ、妻とも離婚するに至つた。

3 離婚当時他の女と関係を結んでいた。

4 岩本は先妻などの言によると一見非常に柔和で言葉使いもおとなしく、人ざわりがよく、肩幅が非常に広く、常に髪はオールバツクとのことで、その特徴が私立探偵と一致する。

5 岩本は岩本平蔵という偽名を用いていた。

しかし岩本の所在は不明であつたので、種々捜査した結果、台東区上根岸一一〇番地渡辺方に居住していることが判明し、昭和三〇年七月一一日午後九時三〇分頃岩本が帰宅したところを緊急逮捕したのである。

そうして翌一二日東京地方裁判所裁判官に逮捕状を請求し、その発行をえたのである。

(四)  本件の捜査は自称「私立探偵」が犯人であると認定した点については誤りはなく、ただこの「私立探偵」が何人であるかの特定について結果的には誤りがあつたのである。しかし、「私立探偵」を岩本であると考えたのは、前述のとおり一三名の者による写真選別の結果や、岩本の前記身辺調査の結果にもとづくものであり、捜査当局が原告岩本を犯人と疑い、逮捕したのは相当の理由があつたというべきである。

二、原告揚関係

揚関係については被告国の主張と同一である。

三、以上述べた理由によつて原告らに対する逮捕状請求および逮捕について司法警察職員らには過失はないから原告らの請求は失当である。

第五、被告らの主張に対する原告らの再主張

一、被告国の主張のうち、第一項(一)の事実は認める。同項(二)の(イ)(ロ)の事実は不知、(ハ)のうち岩本が先妻との間に子供があつたこと、離婚して内妻と同棲していたこと、当時失職していたこと、パチンコをしていたこと、緊急逮捕されたことは認めるが、その他の事実は争う。(二)のうち依然容疑は濃厚であつたとの主張は争うが、その他の事実は認める。(ホ)のうち塩塚正敏が逮捕起訴されたことは認めるが、その他の事実は不知同項(三)の主張は争う。

二、国の主張第二項のうち、(一)の黄死亡の時間は午後八時頃であり、現金三五〇円と腕時計が強奪されたとの点は不知、その他は認める。同項(二)(イ)のうち、死亡推定時間は右のように争い、その他の事実は認める。ただし、同被告主張1ないし3の判明事実から推定した判断事実は不知。(ロ)のうち、被害品の発見につとめたことは不知、容疑が濃厚となつたとの主張は争う。12の事実は否認。3は認める。ただし悪事を働かねばならないほど生活に困つていたわけではない。4のうちアリバイが疑わしかつたとの主張は争うがその他は認める。5は認めるが、人がかけつける前に原告揚が黄を呼んだのに返事がないため留守だといつたのである。6のうち主張のように黄を呼んだことは認める。7の事実は不知。(ハ)のうち逮捕状の請求発付の事実は認めるがその他の事実は争う。(ニ)は認める。(ホ)のうち勾留取調の必要のあつたことは争い、その他は認める。(ヘ)のうち勾留の必要を認めたとの主張は争い、その他は認める。(ト)のうち3の発火に先立つて動産を搬出したことは争い、その他はすべて認める。(チ)のうち勾留期間の延長を請求したこと、その許可のあつたことは認めその他は争う。(リ)(ヌ)の事実は認める。

三、被告都の主張事実中、第一項(一)(二)の事実は不知。(三)のうち岩本が窃盗被疑事件で逮捕されたことがあること、当時失業していたこと、パチンコをしていたこと、夫妻との間事子供があつて、同女と離婚したこと、当時内妻のあつたこと、岩本平蔵という名を使つたことがあること、緊急逮捕され、逮捕状の発付があつたことは認めるが、その他は争う。(四)の主張は争う。

第六  証拠(省略)

理由

第一、原告岩本の請求について

一、昭和三〇年三月五日午前三時一〇分頃建部友七が自宅で手おの様のもので殺害され、次女鈴子が強姦されたうえ、現金約一万五〇〇〇円と懐中時計ほか四点が強奪される事件が発生したこと同年七月一一日同原告が緊急逮捕され、翌一二日東京警視庁荻野留吉警部補が東京簡易裁判所に右逮捕状を請求し、同日同裁判所近藤寿雄裁判官が逮捕状を発付したこと、同月一四日東京地方検察庁築信夫検事は右事件について東京地方裁判所に勾留を請求して、翌一五日同裁判所青木正映裁判官がこれを勾留したこと、右逮捕勾留によつて原告岩本は昭和三〇年七月一一日から同月二三日まで身柄を留置され、取調官の取調を受けたことはいずれも当事者間に争がない。

二、原告は右逮捕および勾留については同原告が罪を犯したと疑うにたる理由がなかつたと主張するのでこの点について判断する。

(一)  緊急逮捕に至るまでの捜査のいきさつ

(証拠省略)

(イ) 右事件発生後東京警視庁捜査第一課は犯行現場附近からの聞込捜査の結果、「私立探偵」と呼ばれていた男が犯人ではないかと思われるつぎの事実を探知した。すなわち犯行現場の近くにある新幸橋附近のバタ屋部落に昭和三〇年二月頃から私立探偵と自称する一見サラリーマン風の男が毎夜一二時近くになると姿をみせ、かばんんの中からうすよごれたシヤツやズボンを取り出して着がえたうえ、どこともなく立ち去り、三時間ぐらいしてまた同部落に帰つて来て背広に着かえて帰つて行く。その私立探偵は右事件前夜おそく同部落に姿をみせ、翌朝三時頃までたき火にあたつていたが、そのときから急に姿をみせなくなつた。

(ロ) そこで「私立探偵」について右バタ屋部落の住人らから更に聞込を続けたところ、中村和利という元船員が「私立探偵」と親しく、また事件発生後に中村は「俺は犯人を知つている」などと語つていたことが分り、六月三〇日になつて右中村を取調べた。その結果「私立探偵」が犯人であるというべきつぎの事実が判明した。

1 中村は昭和三〇年二月頃から「私立探偵」と知りあい、同年三月一日から同月四日まで大黒屋という浅草山谷の旅館に同宿した「私立探偵」は中村に泥棒にはいるのはわけもないとその手口などを語つたが、その犯行の手口は本件犯行の手口とよく似かよつていた。2三月三日に「私立探偵」は中村にゴム手袋とナタを都合してくれと依頼していたが、翌四日には「はいるところが見つかつた」と語り、またナタのようなものを所持してこれを白い長そでのシヤツのようなものに包んで「やつて来る」といつて出かけて行つた。3「私立探偵」はそのまま帰つて来なかつたが、それから数日後新幸橋附近で同人と出あつたので、新聞などで本件殺人事件を知つていた中村が雑貨商殺しの犯人は君だろうというと、私立探偵は足をぶるぶるふるわせながら否定し、食事に行つて来るといつて立ち去つたまま帰つて来なかつた。4この「私立探偵」の人相、年令などは犯行直後に犯人が被害者方から出て来るのを目撃した加藤春信の供述や被害者鈴子の供述とも一致していた。

(ハ) 右事実から「私立探偵」がほぼ犯人と断定されたので、担当警察官らはこの「私立探偵」が何者であるかを特定するため、これと面識のある訴外平山幸雄に神奈川県警察が保管している被疑者写真一万枚余を示したところ、同人は原告岩本の写真を選び出して「私立探偵」によく似ていると述べたので、この写真に似かよつたほかの二〇枚の写真とともに「私立探偵」と面識のある前記中村外六名に示したところ、やはり原告岩本の写真を「私立探偵」として選び出した。

(ニ) この結果から「私立探偵」は原告岩本であるとの推測のもとに、岩本の身辺、住居について捜査を進めたところ、同人は先妻と離婚し、他の女と同棲しており、また当時失業中であり(これらの事実は争がない)転居のおそれもあつたので、同月七月一一日同人を緊急逮捕した。

以上の事実を認めることができる。

(二)  緊急逮捕および逮捕状請求ならびに逮捕状発付の際の過失の有無

およそ警察官が逮捕状を請求するには、被疑者が罪を犯したと疑うにたりる相当の理由があると認められる程度の資料があれば十分であつて、有罪判決について要求される高度の証明までも必要とするものではないと解すべきである。そうして原告岩本を緊急逮捕し、またその逮捕を請求したときには、右認定の(イ)ないし(ハ)の資料が存在しており、これによれば「私立探偵」が本件犯行を行つたことを疑うに十分であり、また「私立探偵」が原告岩本であると認めたのもむりからぬところであつて、結局原告岩本が本件犯行を行つたことを疑うべき相当の理由は存在したというほかはない。

また成立と争のない乙第二三号証、第八四号証によると、東京簡易裁判所近藤春雄裁判官は逮捕状請求書に添付されていた前掲乙第一、四、五、七、九、一一ないし一三、一五、一六号証の疎明資料によつて、同原告が本件犯行を行つたことを認めうる嫌疑を認定したことが認められ、これら成立に争のない乙号各証によると先に認定した(一)の(イ)から(ハ)の事実を認めることができるのであるから、同裁判官の逮捕状の発付についても過失があつたということはできない。

(三)  勾留請求および勾留の際の過失の有無

原告岩本が逮捕後犯行を否定していたことは当事者間に争がない事実であるが、成立に争のない乙第三二、四〇号証によつても右弁解は前記嫌疑を覆すにたるものではなく、一方逮捕後勾留請求までに判明した事実として、成立に争のない乙第二六、二七、二八、三一、三七、三九号証によると、「私立探偵」と面識のある前記平山幸雄ら六名を原告岩本に面接させ、いわゆる面通しを行つたところ、岩本が「私立探偵」かどうかはつきりしないと述べたものが一名いるだけで他の五名はいずれも岩本と「私立採偵」が同一人である旨の供述をしており、また成立に争のない乙第三八号証によると前記中村和利は原告岩本の所持品のうちバンドのバツクルとくつ一足が「私立探偵」の使用していたものである旨の供述をしていて、同原告に対する嫌疑は一層深まつていたことが認められる。そうしてみると係の検察官や裁判官が留置の必要があると考えたのも無理からぬことであり、検察官が勾留を請求し、裁判官が勾留状を発したこともやむをえないことであり原告主張のような過失があつたことは認めることができない。

第二、原告揚の請求について

一、昭和三〇年八月一七日夜中華青年会館第一〇棟階下三号室で同室居住の黄遠鉅が何者かのために殴打絞殺され、同夜一一時五〇分頃、同室に放火された事件が発生したこと、同月三〇日東京警視庁斉藤六四郎警部が原告揚に対する逮捕状を東京簡易裁判所に請求し、同裁判所岩田省三判事が右請求を容れて逮捕状を発付し、同日原告揚は右逮捕状にもとづいて逮捕留置されたこと、同年九月一日司法警察員から事件の送致を受けた東京地方検察庁長山頼正検事は東京地方裁判所に対し、同原告を右事件について勾留するよう請求し、翌二日同裁判所向井哲次郎裁判官は右請求を容れて勾留状を発したこと、同月一〇日右長山検事は同裁判所に対し前記勾留期間を更に一〇日間延長するよう請求し、同裁判所青木正映裁判官はこれを認容して一〇日間の勾留期間延長をしたこと、これら逮捕、勾留によつて原告揚が同月二〇日まで留置されたことは当事者間に争がない。

二、原告揚は右逮捕、勾留、勾留延長については同原告が本件犯行を行つたと疑うべき相当な理由がないのに各係官はこれがあると誤信した過失があると主張するので、この点について判断する。

(一)  逮捕に至るまでの捜査のいきさつ

(イ) 右犯行直後の現場検証や聞込み捜査の結果つぎの事実が明らかとなつたことは当事者間に争がない。

1、被害者は後頭部を鋭器様のもので強打された結果、頭蓄骨に亀裂を生じて脳出血を起しており、致命傷は食後一時間以内の絞頸による窒息死であつたこと、2、被害者の皮財布は洋服ダンスの下方にからのまま放棄されており、現状附近の状況は火災と消火水のため甚しくかく乱されてはいるが、犯人が事件の発覚をおそれ、被害者が失火によつて焼死したもののように偽装していることが認められたこと、当時この棟内には階下三号室に被害者、二階六号室(三号室の真上)に原告揚とその内妻大滝スズがいただけで他には誰もいなかつたこと、

(ロ) そうして成立に争のない乙第一、二号証を綜合すると次の事実を認めることができる。被害者の死亡推定時刻は同日午後八時頃であり、発火が同夜一一時五〇分頃であるので、犯人は被害者の在室中同室に侵入して被害者を殺害した後、一旦同室を出て、午後一一時頃から一一時五〇分頃の間に再び同室に侵入して証拠をなくするため放火したものと推測され、また前記皮財布がからになつているところから物取りを目的とした犯行で、その財布が放棄された位置や死体の状況からみて、犯人は被害者と面識があるかあるいは内部事情に精通している者であろうと考えられた。

(ハ) 原告揚および訴外大滝スズの嫌疑

(証拠省略)

担当警察官らは前記推定のもとに中華青年会館内部に居住するものについて捜査を進めて行つたが、そのうちに原告揚およびその内妻大滝スズについて、つぎのような事実を探知した。

1、原告揚は本件発生の夜一〇時四、五〇分頃井戸端でせんたくをしていた。

2、揚および大滝は出火と殆んど同時に長さ二尺五寸位の一人では持ち運べない位の荷物を三、四個運び出し、そのうち二つの柳行李には本が割合きちんとつめられていた。

3、出火後かけつけた他の寮生が黄が部屋に居るとその安否をきずかつたのに、同夫婦は黄は留守だといつた(この事実は争がない)。その原告らの態度は冷静でるすだと二度も三度もいいはるように主張した。

4、被害者の死亡が判明して、その遺体を運び去つた後、同夫婦は自分らの服が何枚焼けたなどと話して忍び笑いをしているのを聞知したものがあつた。

5、同夫婦は事件後被害者の父黄金水が犯人は内部のものらしいというのに対して、暗に犯人は外部のものだと主張した。

6、同人らは出火と同時に被害者の部屋をたたいて「黄君」とどなつた(この事実は争がない)というが、これを聞いた者はなかつた。

7、同人らは被害者が殺害された当時その真上の部屋に居たというのに何の物音も聞かないといつていた。

8、同人らは当時生活に困つていて(この事実は争がない)、事件発生前の八月一五日大滝スズは他人に田舎に帰りたいが金がなく、揚の兄から六〇〇円借りて行きたいが旅費その他の費用で五円しか残らないので心細くて行けないと語つており、事件発生後の八月二〇日には原告揚の転居先の一一棟一号室の机の上に一九〇〇円の現金がおいてあつた(この事実は争がない)。また被害者は家から毎月一万円位の送金があつて八月九日にも三〇〇〇円送金を受けていたが、これらの事情は同棟に居る原告らが知つていたと思われる。

9、大滝スズは事件発生の夜一〇時すぎに等々力駅に行つて駅員に新潟行の汽車の時刻を尋ねたといつていたが、駅員らはその事実がないといつていた(この事実は争がない)。

10、中華青年会館内には同人らのほかには犯人と思われるものが見当らなかつた。

これらの事実と前記(イ)、(ロ)の事実によつて担当警察官らは原告揚および大滝スズが本件犯行を行つたと疑うに足る相当の理由があると考えて逮捕状を請求した。

以上の事実を認めることができる。

(二)  逮捕状請求及びその発付の際の過失の有無

そこで右事実にもとづいて担当警察官が逮捕状を請求し、その発付を得て、これを執行したことが過失であるかどうかについて判断する。前に原告岩本について述べたように、裁判官が検察官または司法警察員の請求により逮捕状を発するのは、「被疑者が罪を犯したことを疑うにたりる相当な理由があると認めるとき」であつて警察官が逮捕状を請求するのも、これと同様な理由があると認めるときでなければならない。しかしここに「相当の理由」とは、有罪判決について要求せられるような犯罪の証明を必要とするものではないことはいうまでもない。

1、まず右(イ)、(ロ)の事実からすると、犯人は同館および被害者の室の内部の様子を知つているものと推測され、被害者が寝ている時間でもないのに、怪しまれることなく同室内に入つて兇器で後頭部を殴打したことから被害者と面識のあるものの犯行と考えられる。また当時同棟には被害者と原告揚夫婦しか居らず、犯人は被害者を殺害後一旦部屋を出て、三、四時間して再び侵入して放火したと考えられていたのであるから、このような行為を一番容易にできるのは同夫婦であるということができる。

2、また犯人は被害者を鋭器様のものだ殴打したうえ絞殺したのであるから、その真上の部屋に居た同夫婦らは何らかの異状を感じるのが普通であるのに(前示乙第二号証によると同棟は木造モルタル塗建物であるから、階下の物音は容易に聞えると思われる)揚夫妻は全く気がつかなかつたといつているのも不自然である。

3、揚夫妻がかなり大きな荷物三、四個を出火と殆んど同時に運び出し、そのうち柳行李二個には本がわりあいきちんとつめられていたことは、出火を予想してあらかじめ荷物の整理をしていたと推測される。

4、原告らが出火後被害者は留守だといつたのは、出火のとき被害者の部屋の戸をたたいて呼んだのに返事がなかつたのでるすだと思つたと考えることも可能であろうが、前示乙第一五〇号証の大沢ラクの供述によると、被害者は日ごろ部屋をあけて外出することはなかつたことが認められ、被害者と同棟に居る揚夫妻は当然このことを知つていたと考えられ、このように火災が発生したときには単にドアをたたいて呼んだのに返事がなかつたとの理由で被害者が在室しないと考えるのは不合理であり、また被害者の安否を気遺う他の者に対して右の理由だけでるすだと強くいいはる態度にでたのは、被害者の発見をおそれたためではないかとの疑を生じさせる。

5、大滝スズが等々力駅の駅員に新潟行の時間を尋ねたと述べたのに、駅員らはその事実を否定しているのは無理にアリバイを作つていると疑われる。

6、そうして本件犯行は物とりの犯行と思われるが、原告揚らが当時相当生活に困つて居り、また大滝スズもいなかに帰る費用に困つていたことは、一応犯行の動機と考えられ、またそのような状態であつたのに本件発生の三日後には揚方に一九〇〇円の現金があつたことも一応の嫌疑の理由にはなる。

もつとも叙上の事実はその個々の事実だけをとりあげてみると大部分が反証をあげて覆しうるものであり、また個々の事実だけで、同原告が犯人であると推断することは早計であろうが、少くとも逮捕状請求、その発付のときにはそのような反証があつたと認めうる証拠はなく、これらの諸点に前示(ハ)の1、4、5、6、10、などの事実をあわせて考えると、原告揚および大滝スズが本件犯行を行つたと疑われたのも無理からぬことであり、犯罪を疑うに足りる相当な理由があつたと解すべきである。

したがつて、逮捕状請求その発付について各係官に過失があつたとは認めることができない。

(三)  勾留請求および勾留の際の過失の有無

逮捕状発付のときにおいて原告揚について本件犯行を行つたことを疑うに足りる相当の理由のあつたことは前述のとおりであるが、勾留請求および勾留のときにおいて右の疑が消滅したと認めうる証拠はない。同原告が係官の取調に対し犯行を否認していたことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第一六五、一七四、一七五、一七七、一七八号証によつても同原告およびスズがともに犯行を否認していることは認められるが、その内容は単なる犯罪事実の否認にすぎず、ただ事件発生当時は夫婦喧嘩をしていたので階下のことには気がつかず、スズがこげくさいから荷物を出せというので荷物を出した旨弁解しているのであつて、これだけでは前記疑を覆すことはできない。そればかりでなく、右乙第一七七号証および成立に争のない乙第一八一号証によると、原告揚は事件発生の夜は所持金が六円しかなく、(この事実は争がない)寮費の滞納額が当時一万三二〇〇円あつたことが認められるのであつて、勾留を請求し勾留状を発したときには右疑はなお継続していたというのほかはなく、被疑者を留置する必要があると考えて検察官が勾留を請求し、裁判官が勾留状を発したことはやむを得ないことであつて、各係官に原告主張のような過失があつたということはできない。

(四)  勾留延長請求およびその認容についての過失の有無

右勾留の後の九月九日開かれた勾留理由開示法廷で原告揚が自分は犯人ではないことの理由を述べたことは当事者間に争がなく成立に争のない乙第一九三、一九七ないし二〇一号証によると勾留後原告揚および大滝スズは自分らが犯人ではない旨の相当具体的な供述をしていることは認められるが、一方成立に争のない乙第一八七、一八八、一九〇ないし一九二、一九四ないし一九六号証によると大滝スズは依然として事件発生の夜等々力駅に行つて駅員に新潟行の汽車の時間を尋ねた旨の供述を維持し、同駅の駅員らはその事実は全く否定しており、更に同駅員ら三名に警察官二名を大滝スズに面接させ、汽車の時間を教えてくれた駅員を選び出させるいわゆる面通しを行つたところ、スズはそのうちから駅員でなく、警察官を指示したことが認められ、このことによつても原告揚やスズの弁解の真実性に多分の疑念がいだかれたので同原告らの弁解だけでは前記勾留のときにおいて存在した嫌疑をはらすことはできず、したがつて右嫌疑は勾留延長請求およびその認容のときには依然継続して存在していたというべきであつて捜査のため勾留を延長するやむを得ない事由があつたと認めて、右勾留の延長を請求しこれを認めた各係官に同原告主張のような過失があつたと認めることはできない。

第三、結論

これを要するに、原告らの主張するように、警察官、検察官及び裁判官に過失のあつたことは認められない。しかし原告らが身に覚えのない疑を受けて逮捕勾留せられ、これがため多大の迷惑を蒙り、少なからぬ精神上の苦痛を蒙つたことは察するに余りのあることであつて、誠に同情に堪えない。犯罪捜査のため、時に罪なき人が犯罪の疑を受けることのあるのはやむを得ないこととはいいながら本来ならばこのような場合には、公務員の過失のあるなしにかかわらず、相当の補償をするのが、国または公共団体として被害者に尽すべき当然の途である。さればこそ昭和三二年四月一二日法務省訓令によつて、「被疑者補償規程」が定められ、このような場合に被疑者として抑留または拘禁を受けた者に、公務員の過失の有無にかかわらず、抑留または拘禁による一定の補償をする途を開いたのであるが、当時はまだこの規程が施行されていなかつた。したがつて、原告らは国家賠償法の規程によつて、損害の賠償を求めるほかなく、それには公務員に故意または過失のあるを必要とする。原告らは不思議なめぐり合わせによつて、犯人であると疑われるような事情が重なり合つて、犯人でないのにその疑を受けたのであつて、前に述べたように、警察官、検察官及び裁判官に過失のあることが認められない以上は、国家賠償法の規定によつて、被告らに賠償の責を負わしめるに由なく、原告らの請求はその余の点を判断するまでもなく失当として棄却しなければならない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一一部

裁判長裁判官 千 種 達 夫

裁判官 斉 藤  昭

裁判官松本武は転任のため署名押印することができない。

裁判長裁判官 千 種 達 夫

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